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近況報告

 

東海北陸縦貫!乗りつぶし (2000年8月28日)

2年ごしで温めてきた計画を実行に移すときが来た。福井から越美北線−長良川鉄道−太多線−愛知環状鉄道−武豊線−名鉄河和線−伊勢湾フェリー−参宮線−名松線と乗り継ぐという、「我ながら見事」と自画自賛する乗りつぶし計画である。最終の名松線・伊勢奥津駅から、期待していなかった名張行きの路線バスへの乗り継ぎを果たすなど収穫の多い旅行であった。詳細は乗り継ぎガイドにUPしておきましたのでぜひ読んでいただきたいと思います。

 

B個室寝台(ソロ)初乗車 (1999年12月17日)

所用で鹿児島へ行くことになり、迷わず「なは」の利用を決めみどりの窓口へ。ダメもとでB個室をリクエストしたら当日にもかかわらずGETできた。それだけ夜行の利用者が少ないということなのだが、とにかくあこがれの個室寝台に乗れるということで旅の楽しみが増えた。いざ室内に入るとさすがに狭い印象を受けたが、通常のB寝台に比べれば満足できる広さだ。寝台料金が同一(\6,300)というのも嬉しい。暖房の効きが弱くて少し寒かったのと、温風の吹き出し音がうるさいのが不満として残った。車窓が片方向に限定されてしまうのは残念だが、安心してくつろげる個室はやはり快適であった。「サンライズ」や「カシオペア」のようなオール個室寝台が増えれば夜行の需要減少も食い止められるかもしれないと感じた。

 

交通事故に遭う (1999年8月12日)

旅行先の鹿児島で愛車をドライブ中に信号待ちで停止していたところ、後方から来た軽トラックに追突された。シートベルトをしていたので身体は座席に固定されたが、衝突の衝撃で頭部だけ前へ投げ出されるような格好になった。自覚症状はなかったが、念のためすぐに病院で診察を受けた。その時点では特に問題なしとの診断で、医師に2、3日安静にしているようにと言われた。日が経ってから症状が出る場合があると脅かされて少し気が重いが、何事もないことを祈るばかりである。警察の現場検証や病院での診察などで半日つぶれてしまい、せっかくの休暇に水をさされてしまった。今は物損だけで済んで良かったと思うしかない。

 

東京の秘境へ (1999年7月 9日)

運良く週末に東京への出張があったため、周遊きっぷ「東京ゾーン」を購入して東京西部・横浜方面の乗りつぶしをすることにした。正直言って東京地区の乗りつぶしは憂鬱である。通勤型の車両にロングシートばかり、ラッシュ時に限らず混雑していて、しかも見える景色はビルばかりで車窓風景を楽しむ雰囲気ではない、という先入観があったからだ。だから出張のついで以外にわざわざ東京へ出かける気にはなれなかった。しかし、今回の旅行で意外にもおもしろい路線が多いことを知り、自分の思いこみを改めざるを得なくなった。青梅線、五日市線、横須賀線は歴史を感じさせる木造の駅舎やレンガ作りのトンネルが点在し、私が持っていたイメージとは異なる緑豊かな車窓風景が広がっていて東京にいることを忘れてしまいそうだった。また、鶴見線はよく雑誌などに紹介されているので多少の予備知識はあったが、実際乗ってみてその特異さに驚かされた。この訪問記もいずれ紹介したいと思います。

 

ニューマシン購入 (1999年6月20日)

念願だったノートパソコンを購入した。機種は6月18日に発売されたばかりの Panasonic Let's Note A77 です。ここ半年間ずっと情報収集して比較検討し、悩んだあげく出した結論がこれである。B5サイズでディスプレイが11.3インチ、XGA(1024X768ピクセル)表示が可能で、CD-ROM、モデム、イーサネット内蔵でバッテリ持続時間が拡張バッテリ装着で7時間と長時間であるなど非常に欲張りなスペックを満たしているのが気に入った。これで旅先からのページのアップもできるようになるはず!?

 

郷愁の本山支線 (1999年6月19日)

「旅と鉄道 119 ’99夏の号」(鉄道ジャーナル社)に「もうひとつの山陽路」という記事が出ていたが、それに呼応するように私も小野田線、宇部線、岩徳線、呉線に乗車してきた。今回の目玉はなんといっても本山支線のクモハ42乗車である。小野田線は以前に一度乗車したことがあるのだが、なぜか本山支線をパスしてしまい後悔していた。雀田7:58発の625Mには私と鉄道ファンらしき男性1名の計2人の乗客しか無く、本山支線の前途に不安を感じたが、折り返しの628Mには地元のお年寄りなど10名ほどの乗客があり安堵した。それにしてもこのクモハ42がかつて都市部で活躍していた国電車両とはとても思えない。現代の基準でいうと木をふんだんに用いた贅沢な作りといえるが、昔は木の方が手に入りやすかったのだろう。

 

5月のお花見−角館・弘前・金木訪問 (1999年5月 1日)

今年はゆっくり桜を見る間もなく散ってしまい残念に思っていた。それならばゆっくり休めるゴールデンウィークに桜を見ようと思いつき、周遊きっぷ「秋田・白神ゾーン」を買って出かけることにした。お目当ての桜は、角館ではほぼ終わり、弘前公園は場所によって散り初めから5分散り、金木の芦野公園はほぼ満開であった。角館のしだれ桜は咲いていたら見事だったろうと思う。今年の角館の桜は例年より終わりが早かったようで、いつもなら弘前の方が先に終わるそうだ。遅い花見を楽しみたいならばGW前半に訪れた方が良さそうです。

 

新潟交通・蒲原鉄道さよなら乗車 (1999年3月27日)

また悲しい出来事である。新潟県下の二つの私鉄が同時期に廃止されることになり、新潟から私鉄が完全に消滅することとなった。最初で最後の乗車はあいにくの小雨混じりの天候であった。どちらの路線も味わい深く、歴史を思わせる車両や駅は郷愁をかき立てる。毎度のことながら1回きりの乗車となったことが悔やまれる。なお、蒲原鉄道については3月末廃止の予定であったが地元自治体との協議で決着がつかず、廃止はしばらく延期となったようである。

(追記) 99年10月に蒲原鉄道も廃止になりました。もしかしたらもう一度乗りに行けるかと期待していただけに残念です。

 

沖縄を除く全都道府県訪問達成 (1999年3月13日)

鉄道が走っていない沖縄県を除く全都道府県への訪問を達成した。3月13日に水郡線に乗車し、最後まで残っていた茨城県についに足を踏み入れた。残る沖縄県を訪れるのはまだまだ先のことになるだろう。当面は鉄道旅行にしか興味がないので、わざわざ鉄道のない沖縄へ出かける意欲が涌かない。マリンスポーツに興じるような人間ではないので一生行くことがないかもしれないが、もし行くとすれば飛行機ではなく船で行きたいものだ。その方が旅情があっていいと思う。

 

井原鉄道・開業に立ち会う (1999年1月11日)

私は一番乗りマニアとか、記念切符コレクターというわけではないので、鉄道が開業するからといってわざわざ乗りに行くことに興味はない。しかし、今回ばかりは行きたくなってしまった。なにせ自分の誕生日と同じ日に開業するのだから、鉄道ファンの私としては外すことはできなかった。当日、開通を祝う地元の人たちの喜ぶ姿を見ていると、こっちまでうれしくなってきた。いままで廃止の場面は何度か見たことがあるが、今回初めて開業に立ち会うことができて、こういうシーンを見ることができて良かったと思った。このときの模様はこちらをご覧下さい。


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