鉄道旅行のしおり

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“鉄道全線乗りつぶし”という遊び

 

鉄道全線乗りつぶしを意識したきっかけ

鉄道旅行を愛する者にとって意識せざるを得ないテーマとして“鉄道全線乗りつぶし”があります。私も乗りつぶしを目指しておりますが、それを特に意識し出したのは平成9年9月の信越本線の一部区間(いわゆる横軽)の廃止でした。恥ずかしながら廃止直前になって初めてこの超有名線区を乗車したのですが、長野行き新幹線が開業するとはいえ、特急列車が行き交う幹線といえども廃止を免れなかったという現実にショックをうけました。鉄道を取り巻く環境は決して良好とはいえず、赤字ローカル線や今後開通するであろう整備新幹線の並行区間など廃止の危機にさらされている路線は数多く存在します。感傷的に「鉄道がなくなるのは寂しい」と言っても、廃止を止めることはできません。ならばせめて廃止される前にその姿をこの目に焼き付けておきたいと思うのです。

 

“鉄道全線乗りつぶし”という遊び

“鉄道全線乗りつぶし”という遊びは、普通の人からみれば馬鹿げたことと映るでしょう。お金も時間もかかりますしそれを達成したからといってJRから表彰されるわけでもなく、全くの自己満足でしかないのですから。しかし、趣味とは人に評価されるためにすることではありません。自分が楽しめればそれでいいのです。“鉄道全線乗りつぶし”は‘競技’ではなく‘遊び’なのですから。

 

“鉄道全線乗りつぶし”のルール

“鉄道全線乗りつぶし”に決まったルールなんてありません。各自で自由にルールを課してそれに則ってゲームを進めます。かつて国鉄の頃にチャレンジ2万キロというキャンペーンがありました。そのときは乗車証明として始発駅と終着駅で本人と駅が入った写真を写すことになっていたようですが、これでは途中区間を本当に乗車したかどうかを確かめることはできません。結局のところ、自己申告を信用するしかないのです。それよりなにより、こんなことでズルをしても意味がありませんし、うしろめたいだけでしょう。

 

私の乗りつぶしのルール

私の“鉄道全線乗りつぶし”はとりあえずJR線を対象として進めていくつもりです。私鉄や地下鉄を含めてしまうと、都市部のあまり気乗りしない区間のことまで考えなければならず、それが苦痛になるからです。とはいえ、全線完乗を目指すからには避けては通れませんから、ついでの機会を利用するなどしてこまめに乗りつぶしていこうと思っています。JR線については平成9年9月現在存続している路線は全て乗車するつもりです。もし未乗線区の廃止が決まったら、どんなに遠方でも、どんなに多忙中でも必ず廃止前に乗りに行く覚悟です。
乗車証明なるものを揃えるつもりはありません。前項で述べたように、確実な乗車証明の手段が存在しないからです。旅の記念に写真を撮ったり使用した切符を取って置いたりということはしますが、基本的には自己申告で白地図を塗りつぶしていき、乗車区間を確認できるようにします。

 

全線完乗の日はいつ?

全線完乗の日がいつになるのか見当もつきません。青春18きっぷで初めて旅に出た平成元年を乗りつぶし開始年とすると、すでに10年が経過していることになります。単に完乗するというだけの目的で鉄道に乗るのであれば、途中下車もせず列車に乗りっぱなしで、夜の間も夜行列車に乗って乗車距離を稼げば案外早く完乗できるかもしれません。でも私はそんな過酷な旅はしたくありませんし、いろんな街を歩いてみたいと思っていますので、ゆっくり時間をかけてしか乗りつぶして行けないでしょう。

 

全線完乗を達成する場所はどこ?

全線乗りつぶしを達成した人、目指している人の多くは、どこの駅で完乗を達成するかを決めているようです。私の場合は全くそれを意識していませんでしたが、考え付くところといえば、和田岬駅か、美濃赤坂駅といったところでしょうか。選定理由としては、近畿圏の未乗区間で行き止まりの駅がこの2つだからです。希望としては和田岬駅ですが、早く乗りたい区間でもあります。近畿圏という枠を外すならば、信越本線の横川駅、山陰本線の江津駅が候補に挙がってきます。横川駅は軽井沢側から往復しただけなので高崎−横川間が未乗車であることと、私が鉄道旅行にのめり込むきっかけになった場所でもあるので乗りつぶしの最後を迎えるのにふさわしい。江津駅は三江線と接続する山陰本線の駅ということで立地条件は申し分ない。まだまだ先の話ではありますが、どこでゴールすることになるのか楽しみです。

 

乗りつぶしは目的ではなく手段である

私にとっての鉄道全線乗りつぶしは、日本をくまなく見てまわるための手段であって、最終的な目的ではないと考えています。私は地方のローカル線が好きですが、それは古き良き日本へのノスタルジーなのかもしれません。ブラウン管から見えるこの国の醜さに辟易する前に、日常の喧噪を離れてどこかに残っているこの国本来の美しい姿を見つけたい。現実逃避といわれるかもしれませんが、そういう気持ちが私を旅に駆り立てる動機の根底にあるように思います。