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第2節 − 廃線跡を訪ねて/山野線・宮之城線

 

【一】 なくなったふるさとの駅

私の父は鹿児島県大口市の出身です。幼い頃から2年に1度位のペースで帰省していたこともあり、私にとってもなじみ深い町だと思っています。この町にはかつて2本の国鉄の路線が通っていました。一つは鹿児島本線水俣駅と肥薩線栗野駅を結ぶ山野線で、もう一つは鹿児島本線川内駅と薩摩大口駅を結ぶ宮之城線です。

昭和63年1月、私が高校2年のときですが、山野線が廃止になるというニュースを伝え聞いた。そのころの私は鉄道への興味を失っていたので特に気にも留めず聞き流していました。ただ、人からもらった廃止記念のオレンジカードは今も大事に保存しています。何度も大口を訪れていたわりには、山野線にも宮之城線にも乗車することはついにありませんでした。鉄道全線乗りつぶしなどという大それた企てをもっている今にして思えば、なぜ身近にあったはずの路線を乗っておかなかったのかと後悔しています。

そんな後悔を少しでも取り返すために、この夏の帰省で廃線跡を訪ねてみることにしました。折から廃線跡めぐりがちょっとしたブームになっているのもその気にさせた理由のひとつです。

 

【二】 ジャンクション・薩摩大口駅跡  
薩摩大口駅跡 山野線と宮之城線が接続していた薩摩大口駅。駅舎も線路も完全に撤去され、代わりに小さな公園が設けられている。2本の腕木式信号機が立ち、短い線路の上に車掌車が根を下ろしている。ぽつんと取り残された車掌車の姿が淋しげである。かつてここが鉄道の要衝であったことをうかがい知ることはもはやできない。

再開発の都合上やむを得なかったのだろうが、駅舎が残っていないのが残念である。駅跡に建てられた大口ふれあいセンターの4階には鉄道記念館があり、当時の駅の備品や行き先案内板などが展示されている。入館自由となっているのでふれあいセンターの開館日であれば気軽に覗くことができる。ふれあいセンターの隣に南国交通の大口バスセンターがあり、栗野や水俣とを結ぶバスが発着している。

線路跡は道路に生まれ変わっていた。車で走ると線路の上を走っているような錯覚を起こす。道が気持ちよく一直線に伸びていて、線路跡であることを物語っている。

【三】 山野線・山野駅跡  
なぜ大口線でも栗野線でもなく、山野線という名前が付いたのだろうか?と思わせるほど何も無い場所である。

駅跡に設けられた公園に、駅名板と車輪、そして踏切の警報機が残されていた。公園内に「鉄道資料館」らしき看板を掲げた集会所のような建物があった。覗いてみたかったが人の気配もなく、連絡先もわからないので入ることは出来なかった。

なぜか公園の外の道路わきに名所案内の立て札が残されていた。

 

【四】 珍品発見!

山野駅跡から水俣方向へ走り初めてすぐに、おかしなものに出くわした。両サイドが重厚な鉄板でガードされた1車線幅の橋。思わず「何だこりゃ!?」と叫んでしまったが、すぐに笑いがこみ上げてきた。かつての鉄道橋を自動車橋に改造してあるのだ。しかもなぜか鉄道の標識を取り外さずに残してあるのが心憎い。橋を架け替える予算がなかったのか理由はわからないが、この橋が残されて今も使われているというのがうれしいじゃないか!

レールはないけれど鉄道橋そのものの姿で残っている。列車は走らずとも、橋としての役目をいつまでも果たして欲しいと思う。

 

【五】 宮之城線・羽月駅跡  
山野線、宮之城線が健在であったならば、私は羽月駅で下車していたことだろう。最寄りといっても3q位離れていると思うが、父の実家には一番近い駅であった。

公園のそばの交差点名は「羽月駅前」のままで、「駅前食堂」という店もあって、駅が無くなっても周囲はあまり変化していないようである。

山野駅跡と同様のレイアウトの公園が作られている。隣の西太良駅跡にも行ってみたが、やはり同じような公園があった。「一応作っておきました」とでも言いたげな感じで、おそまつな印象を受けた。もっとも、消え去るもののためにわざわざ公園を作ってくれただけでもありがたいと思うべきだろう。こんなものをみて懐かしがったり喜んだりするのはほんの一部の人だけなのだから。

 

【六】 いずれ消えゆく痕跡

行き当たりばったりで下調べもせずに車で走り回った割には、結構たくさんの遺構に出会うことができた。今回は大口市内を中心に巡ってみたが、次回は詳しく下調べしたうえで他の遺構を探してみようと思う。

廃線跡めぐりを初めてやってみて、なかなかおもしろいと思った。宝探しをしているような気分になって、夢中であちこち車で走り回った。宝と言っても、錆び付いた線路や車両、朽ち果てた駅など一般的にはガラクタの部類であるが、鉄ちゃんにとっては吉野ヶ里遺跡も目じゃないほどの重要文化財である。

その一方で、廃線跡を辿ることに「何の意味があるの?」と冷めた考えがよぎることもある。かつてここに駅があったということに、どれほどの意味があるのだろうか。鉄道がなくなってしまった理由を誰か考えているのだろうか?鉄道は必ずしも惜しまれて無くなったわけではないのだ。

残された駅名板が朽ち果てたら再建はされないだろう。橋もいつかは架け替えられるだろう。鉄道を利用していた人々の記憶もいつかは消え去るだろう。それでもやはり、一部の物好きな人だけであってもこの地に鉄道があったことを覚えていて欲しいと思う。鉄道が発展の象徴だった時代もあったはずなのだから。

 

参考文献:
「旅と鉄道(114) '98夏増刊」(鉄道ジャーナル社)−廃線跡をゆく

おすすめサイト:
山野線についてもっと知りたいという方には、山野線データファイル をおすすめします。