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第3節 − 自然の宝庫へ/足摺・四万十川周遊

 

断崖の上に建つ足摺岬灯台

中央にぼんやりと見える黒いものは
あしずり港を出航した「フェリーむろと」です。
肉眼では船体に描かれた赤いくじらまで見えたのですが・・・。
望遠なしのデジカメではこれが精一杯でした(苦笑)。

 

【一】 そうだ、船乗ろう。

4月某日。不意に4連休を取れることになった。行きたいところはたくさんあるが、気候が温かくなってきたので潮風に吹かれるのが気持ち良さそうだ。ということで今回は久方ぶりに船を利用することにした。そして、目的地は四国西部。足摺岬や四万十川など自然が多く残っている地域である。

もちろんメインは鉄道乗りつぶしである。のどに刺さった小骨のようにずっと気になっていた未乗車区間、宇和島−北宇和島間と内子線を早く乗車しておきたかったのだ。なお、大阪出発からあしずり港到着までの乗船記はこちらのページを、宿毛−宇和島間のバス乗車記はこちらをご覧下さい。

 

【二】 四国最南端・足摺岬

あしずり港に到着後、あわただしく路線バスに乗り込む。船の到着が遅れたため、バスも定刻から15分遅れの出発となっていた。座席が一通り埋まる程度の乗客を乗せてバスは発車した。ほんの10分ほどで土佐清水市の中心部に入った。土佐清水の市街部はそれほど大きくはなく、典型的な地方都市の趣である。失礼な言い方かもしれないが四国の中でも辺境と言っていいところに位置しているため、ちょっと懐かしい雰囲気が残っている。市街地に接するように漁港があって、係留されている漁船の数に驚かされる。さすがにここが漁業の街であることを一目でわからせてくれる。

バスは土佐清水バスセンターを経由して足摺岬へと向かう。窪津経由(半島東回り)のルートを辿る。行き違い困難な狭い道路が続く。ごく一部だけ拡幅されているが、全区間拡幅されるまでにはまだ10年以上かかりそうだ。地元のドライバーは慣れたものでバスを見つけるや行き違いが出来るところまで素早くバックして道を譲ってくれる。しかしそう言う場面が何回もやってくるので乗っているだけの私もだんだんうんざりしてくる。時折お遍路装束の人とすれ違う。あるいはバックパックをかついだ若い人の姿もあった。足摺岬のそばにある金剛福寺へ向かう人達だろう。

10時半頃、足摺口に到着。バス停から灯台までは徒歩5分ほどだった。4月初旬というのに南国だけあって初夏を思わせるほどの陽気に包まれていた。岬からの眺めは素晴らしく、視界を遮るものは何もない。断崖の下で岩に砕ける波の白さが美しかった。

遊歩道を辿って歩いて行くと、浜へ降りて行くことが出来る。降りたところに左の写真の白山洞門がある。岬から徒歩20分ほどです。ここから浜が広がっていて、潮風と波の音を全身に受けることができる。そのまま遊歩道を歩いて行くと足摺バスセンターのそばに出ます。今度は車道に沿って足摺口まで引き返す。太平洋を眺めながらのウォーキングは最高である。一時間ほどで一巡してこれます。

風景以外に見ておくべきものと言えば、四国霊場三十八番金剛福寺である。特筆するものがあるわけではないが、四国八十八ヶ所の一つと思えば改まった気分になるというものである。時計を見るとまだ11時半。暑くなってきたのでアイスクリームを食べながら岬の東側にある展望台へ行ってみる。展望台から沖の方を眺めていると、大きな船が右手の方からやってきた。今朝乗船してきたフェリーむろとだった。11時半にあしずりを出航して22時20分に大阪へ到着する。結構岬の近くを通るんだなあと思いながら目で追いかけた。

【三】 日本最後の清流

12時35分足摺口発のバスで中村へ向かう。今度は中浜経由(半島西回り)のルートだが、相変わらず道は狭い。こちらのルートは入り江が多くて小さな漁村をいくつも見かけた。もちろん海の眺めは最高です。中村までは所要一時間半。土佐清水を出てからは睡魔に襲われてあまり記憶が無い。正気に戻ったのは中村市街に入ってからだった。中村駅で下車してまずはホテルに荷物を置きにいった。まだ3時過ぎなので四万十川を見に行きたい。駅前で自転車を借りられるというので再び駅へ向かった。

日本最後の清流と言っても上から眺めればただの川である。四万十川らしい風景と言えば沈下橋を思い浮かべる。一番近くにある佐田沈下橋をめざしてペダルをこぎ始めた。四万十川大橋の手前で右折し、川沿いに上流を目指す。20分、30分とこいで行っても目的地が見えない。「あと何km」という標識もないので少し不安になりかけた頃ようやく到着しました。駅から40分位かかっていました。

左の写真が佐田沈下橋です。車一台が通れる幅しかありませんが、橋の中央部だけ道幅が広くなっていて車のすれ違いが出来るようになっています。

写真は夕日に輝く四万十川です。佐田沈下橋からの帰路、ふと振り返ると川面がまぶしく光っていました。こういう何気ないけど美しい景色が普段の生活の中で見られなくなってきました(気付かないだけかもしれませんが)。感性が鈍らないようにするためにも時々旅に出ないといけませんね。

 

【四】 この自然がいつまで残るのか

今回訪れた四国西部の地域は開発が遅れていたために結果として豊かな自然が残されたわけですが、この地域にも徐々に開発の波がやってきつつあります。幅の狭い田舎道の拡幅工事があちこちで行われていました。道路が完成すれば大型トラックが頻繁に行き来して港湾や河川の改修工事などが始まるに違いありません。もちろんそれはそこで暮らす人々に恩恵をもたらすはずですが、私は日本の建設行政をもろ手を上げて信用することができない。長良川河口堰や諫早湾干拓など、どれほどの必要性があって自然を犠牲にしてまで開発を行ったのか甚だ疑問に思えるのです。建設省は環境への影響は軽微であるとしているが、市民団体の発表などから現実はそうではないようです。わずかでも自然を壊す恐れがあるのならば中止も含めて慎重に検討するべきだし、開発後に予測よりも悪い影響が現れたのならばその事実を公表するべきでしょう。コンクリートで塗り固められた河川や海岸を見るたびに、これ以上人間の都合で自然を壊さないで欲しいと願うのです。自然を壊したツケは結局人間にまわってくるのでしょうから。