1. TOP
  2. 宮脇俊三作品のなかの『津波』

宮脇俊三作品のなかの『津波』

 2011/03/13 旅の参考書
この記事は約 4 分で読めます。 521 Views
時刻表2万キロ

テレビは今も繰り返し大津波の映像が流れている。水が引いた後、「かつて街だった」場所にうず高く積みあがったガレキ。ありえない状態でひっくり返っている自動車や船。そして、線路ごと流された鉄道車両。何から手を付ければいいのか見当もつかないなか、それでも生き残った人たちは、「やるしかないから」とガレキの撤去を始めている。

私は津波の恐ろしさについて真剣に考えたことがなかった。わずかに記憶しているのは、鉄道文学の巨匠・宮脇俊三氏の著作のなかに津波に関する記述がよく出てきたことだ。手持ちの本を引っ張り出して、そういう文章がありそうな三陸地方の旅行記を読み返してみた。

★『時刻表2万キロ』(角川文庫 他)

【送料無料】時刻表2万キロ

【送料無料】時刻表2万キロ
価格:580円(税込、送料別)

第14章 気仙沼線-開通の日
「…気仙沼線がいよいよ一二月一一日に開通するという嬉しいニュースが入ってきた。 …(中略)… 気仙沼線沿線、とくに志津川町民による鉄道敷設の陳情は明治三〇年頃から始まっており、悲願八十年と言われる。なにしろ三陸地方は津浪が多く、とくに湾口がラッパ状に開いている志津川町では津浪のたびに交通が途絶えて食糧が不足し、鉄道への願いは一層切実だったという。」

宮脇俊三氏の出世作『時刻表2万キロ』の最後の章に、気仙沼線建設のエピソードとして津波(原文では”津浪”)による交通寸断の解消が期待されていることを書かれている。

氏はしばしば三陸地方を旅しておられる。そのたびに、地元の人の話であったり郷土史の記述などを引用して、この地方が津波と切っても切れない関係にあることを浮き彫りにしている。

★『線路のない時刻表』(講談社文庫)

全線開通版・線路のない時刻表

全線開通版・線路のない時刻表
価格:420円(税込、送料別)

建設と廃線の谷間で 三陸縦貫線
「田老は宮古線の終着駅で、ここで工事中の久慈線とつながる。地形的にも隆起海岸と沈降海岸の境目で、田老以南の集落は湾の奥にある。それだけに幾度も津波の惨禍に見舞われてきた。田老町の記録によると、明治二九年六月一五日の津波では三三六戸が流失し、生存者はわずか三六人、昭和八年三月三日の場合は、流失五〇五戸、死者と行方不明者は九〇一人にも達している。」

工事途中の三陸鉄道を訪れたときに書かれたものですが、ここでもやはり、鉄道建設の経緯として津波の悲惨な歴史が挙げられている。

★『ローカルバスの終点へ』(洋泉社 刊)

【送料無料】ローカルバスの終点へ

【送料無料】ローカルバスの終点へ
価格:882円(税込、送料別)

川代(岩手県宮古市)
「高さ七、八メートルはあろうかという巨大な堤防が現れた。波静かな入江の宮古湾には不似合いに見える大堤防だが、これは津波対策の『防浪堤』である。」

ローカルバスの旅の途中で見かけた『防浪堤』。今般の大津波はその巨大な堤防すら超えてしまったのかもしれない。

地元の人に、漁協の建物が海のそばではなく高台の上にある理由を尋ねて、津波のせいだと教えられたくだりにて…

「津波にやられますとね、浜から高いところへ移るのですが、それでは不便なので、だんだん浜へ下りていくのです。すると、また津波に見舞われる、それを繰り返してきたようです。 …(後略)… 」

災害は忘れたころにやってくる。わかっていても、危機意識を常に持ち続けるのは実際には不可能なのかもしれない。

津波を防ぐ力は人間にはない。津波からいかにして逃れるか。不可能への挑戦ともいえるが、挑戦しなければ死を待つのみである。

本章の最後を、路傍の石碑の言葉で結んでいる。

(昭和八年の大津波の話を聞いた帰り道にて)
「姉吉集落から浜への道を下りかけると、古びた自然石の碑があり、こう刻まれていた。
『高き住居は児孫の和楽
想え惨禍の大津波
此処より下に家を建てるな』」

先人の教えを風化させてはならない。次は我々が後世に伝える番である。

※ 長文の引用をお許しください。引用した文章は発表当時の内容であり、路線や市区町村の名称は現在と異なる場合がありますことをご了承ください。

スポンサーリンク

\ SNSでシェアしよう! /

終着駅のない旅の注目記事を受け取ろう

時刻表2万キロ

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

終着駅のない旅の人気記事をお届けします。

  • 気に入ったらブックマーク! このエントリーをはてなブックマークに追加
  • フォローしよう!
スポンサーリンク

ライター紹介 ライター一覧

溝口光徳

溝口光徳

1971年1月生まれ、大阪府在住の鉄ちゃんです。少ない休日に一つでも多くの鉄道路線に乗る方法として、いわゆる盲腸線(行き止まりの路線)の終点からバスや船を利用して他の路線につなぐ「抜け道探し」に夢中になり、いつしか「抜け道探し」とその踏破が旅の主目的に。
1999年にウェブサイト『終着駅のない旅』を開設。2004年にJR全線完全乗車達成。現在はJR以外の鉄道全線完乗を目指して活動中。2016年からJR全線乗りつぶし・2周目を開始。