2012年3月末で廃止されることが決定した長野電鉄屋代線。惜別乗車を計画しようと時刻表のさくいん地図を開いたら、長野駅から川中島古戦場を経て松代駅をつなぐバスがあることに気付いた。松代駅は屋代線の中間駅だから乗りつぶしのためのショートカットにはならないものの、廃線間近で注目を集めている屋代線へのユニークなアプローチとして紹介します。
別所温泉の「そば久」でもりそばを食した後、上田電鉄→しなの鉄道と乗り継いで長野駅にたどり着いた。14時45分発のバスまで30分ほど時間がある。ゆっくりした足取りで駅前風景を眺めながら歩いていたら、視線の先に「松代」の行先表示を掲げたバスが出ていくのが見えた。「あっ!」と思ったがもう手遅れ。14時15分発には間に合わないと思い込んでいたので気を抜いていた。「走れば間に合ったな〜。でもまあいいや」。気を取り直してバス乗り場の観察を始めた。
松代行きをはじめほとんどの路線バスは駅西側の善光寺口を発着する。長野電鉄の地下駅もこちら側にあるし、善光寺の他にも県庁や市役所などがあり、一帯は繁華街となっている。東口へ行ってみると、こちらには白馬や志賀高原へ直通する急行バスと一部の路線バスの停留所がある。他には特に見るものもなくガランとした景色が広がっていて、「できあがっていない」感が強い。
定刻2分前にやって来たバスは15人近い客を拾うと慌ただしく発車した。このバスは日中は30分ヘッドの規則正しいダイヤでわかりやすい。安定した需要があるのだろう。最初のうち、松代とは反対方向の北へ針路を取るが、県庁前で反転して南へ向かう。街の中心部を循環するルートとなっている。
信越本線と新幹線を一跨ぎする陸橋を越え、丹波島橋で犀川を渡る。ひたすら同じ道をまっすぐに走っていく。快調に進んできたが、だんだん交通量が増えてきた。「長い信号待ちやなー」と思ったら、ここでまさかの大渋滞に遭遇。
……5分、……10分経過後も渋滞の中にいた。「ダメだこりゃ」。松代で10分の待ち合わせで須坂行きに乗り継ぐ予定だったのだが、これで貯金を使い果たしてしまった。1本前のバスに乗れなかったことが悔やまれる。
工事でもしているのかな?と思っていたら、ある交差点を過ぎると何事もなかったようにスムーズに流れ出した。川中島古戦場に到着。ここで2人下車。車内から眺めただけだが、大きな公園としてきれいに整備されているようだ。と、その先に「おぎのや長野店」の看板が!においが漂ってきたわけではないが、釜めしが恋しくなる。鉄道から孤立した場所に店があるのが少々意外だが、マイカーの客もしっかり掴んでいるのだろう。広い河原の千曲川に架かる松代大橋を渡る。いにしえの大合戦に思いを馳せる間もなく、上信越道の長野インター前に至る。ここは高速バスの乗降扱いがあって、ちょうど新宿行きのバスが停車していた。
高速道路入口とは反対側の道へ入ってしばらく行くと踏切が見えた。まもなく松代駅に到着。所要30分のところを、なんと22分の延着だった。ここでほとんどの乗客が下車した。降車してバスを振り返ってみると電光の行先表示が「松代高校」に変わっていた。キメ細かい対応に感心した。
次の列車まで少し時間が空いたので松代城跡まで歩いてみた。武田信玄の命により築城され、真田氏10代の居城であったが、明治維新後に廃城となったそうだ。建物だけでなく石垣も復元されたものであるらしく、継ぎ目なく整然としている。
駅の近くには池田満寿夫美術館や真田宝物館といった新しく大きな施設が点在している。ふと気付いたのだが、史跡を除けばこの辺りで一番古い建物は松代駅舎かもしれない。戦時中、不要不急線に指定されながら松代大本営造営のために生き残った鉄路も、次の春には機能を失う。これも歴史の必然なのだろうか。
東海道本線・京都駅〜長野電鉄・湯田中駅
しなの鉄道・軽井沢駅〜吾妻線・万座鹿沢口駅
信越本線・横川駅〜しなの鉄道・軽井沢駅
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